寛容と非寛容
武田氏の「寛容について 」という日記を読んで、思い出してしまった。
というよりも、絶対に忘れられない言葉であるのだが。
法政の学生会館が取り壊されようとしていた時に、学内誌に平林総長が書いた一文だ。
「ボアソナードタワーは寛容、学生会館は非寛容。知性と非知性。」
(正確な文章は忘れたけど、内容はこういうこと。)
知性とはこの場合何を言うのだろうか。夜通し学生同士で議論する事や、
人生について語り合う事も知性だと思うし、文化的な活動をしている
サークルもたくさんあった。
現場を見ないで表面上だけで判断する輩は最低だと学んだ。
寛容は不寛容にも寛容である続けられるか。
私は自分ではそうしてきたと思っている。
(他人はどう思っているか知らんけど)
しかし、いい加減に限界を感じてきつつある。
さて、人間は結局は猛獣と同じなのだろうか。