本日の政治経済ネタ

まあ、政治経済ネタというわけではないけど、
久しぶりに唐沢俊一氏の日記を読んで感じたこと。
まずは5月17日の日記より。
http://www.tobunken.com/diary/diary.html

ネット検索していたら引っかかった山本夜羽音氏(漫画家)のサイトで、例のイラ クの人質事件について言及されており、“僕は「ジサクジエーン」とお祭りをやった 連中を土下座しようと許さない”と語られていた。5月13日の記である。
http://d.hatena.ne.jp/johanne/
 それらは“無根拠な中傷を煽った”行為であるからということであるらしい。私は あれが自作自演であるという可能性はまあ、あり得ないだろうと『社会派くん』でも 発言しているが、しかしこれこそ印象批評(そんな大それたことができそうなタマで はあの三人はなさそうだ、という)であり、実際のところ、これが狂言ではないかと いわれた原因の、ビデオに見られるいくつかの不可解なポイントについて、あの三人 はいまだ会見で明らかにしていないままの状況(“イッテ、イッテ”に関しては郡山 氏の説明はかえって疑念を深めるだけだった)なのである。(中略)自作自演疑惑が聞かれなくなったのはあの三 人への疑いが晴れたからではなく、彼ら三人がマスコミにほとんど露出しなくなった ため、その後の情報が入らなくなったために他ならない。いまだ、多くの人(中には 元・左翼の活動家などもいる)から、あのビデオの疑問点を指摘している声は出続け ているのだ。

確かに、否定派の意見は印象批評の部分があることは否めない。
しかし、前にも書いたが、私はまずは人質や家族のことを第一に考えるべきで、
自作自演説やさらに自己責任論につながる流れは容認しがたい。
で、助かった後も加害者のような雰囲気があったことも容認できない。
そもそも、なんでもそうだが不可解なポイントなんてのはナンボでも書けるのである。
私は別に自作自演説について説明責任が3人にあるとは思わない。
まあ、でもあれだけ国論を2分したことだから説明した方がいいのかもしれないが、
それでも私はまずは健康のことを考えながら行うべきだと考える。(例:高遠さん)
なお、唐沢氏の後者の発言は、まあそのとおりだが、
もっと言えば単にマスコミが飽きてしまっただけであると思う。
ビデオジャーナリストの神保氏によればメディアは抗議の投書が
北海道事務所にたくさん届いているということを報道したが、
実は多くは人質のことを心配した投書だったという。
つまり、マッチポンプだったと。
これが、自己責任論の流れを作ったということである。
これは年金未納問題でも、同様の事が言えるが。
多分、訪朝関連の話題で年金未納問題はどっかに行ってしまうのだろう。
なんというか、マスコミを味方につけたほうが勝ちという状況はどうなんだろう。
次にwinny関連の記述。
氏は開発者の金子氏の逮捕は当然とし、現行の著作権に挑発的態度を
取りつづけたのでは、逮捕は当然とするその上で、5月11日の記述

 嫌な予感がするのは、これでまた軽率な若手文化人たちが金子氏擁護のつもりで著 作権批判、警察批判、有罪が確定した場合の検察批判などを法廷で、またマスコミを 通じ、ラチもなく繰り返し、かえって金子氏の立場を悪くすることになりそうな雰囲 気が感じられることだ。松文館裁判宮台真司がふるった弁舌が、逆効果で裁判官の 心証を害して有罪判決が下ることになってしまった件の、二の舞を演ずるような匂いが、ネットのあちこちを逍遙した限りでは芬々と漂っているのである。 

私は唐沢氏の主張とは意見を異にするし、本来ならば宮台氏のように
論理的に述べていくのがいいと思ってはいる。
しかし、ここは難しいのだが「勝つのが第一か」「原理原則が第一か」
ということである。
私は前者を優先する。
判例というのはその後10年20年残るものであるから、
安易に正義だけを貫き通せばいいというわけではないと思う。
まあ、両立できれば1番いいのだけど・・・。


ちなみに、唐沢氏の日記にある思想や意見は、多くの場合
私と正反対の記述が多いです。
でも、私は唐沢氏を尊敬します。
私の高校時代の知的好奇心を満たしてくれた人ですしね。