後輩を救うために(法政逮捕の件)

本日、以下の文を作成された方にお会いし、
全面的に文章に賛同し、行動する方向にいたしました。

・・・とは言っても、夜勤があるからどこまで
参加できるかはわかりませんが。
これだから夜勤仕事は困る。

ちなみに、檄文や賛同者を募集中です。
私にメールを送る形でもかまいません。
よろしくお願いいたします。
http://www.minimal-global.net/united_ob/

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2006年5月30日
退学処分を撤回せよ!法政大学統一OB会



法政大学に告ぐ


われわれは法政大学のOB、OGである。われわれが在学していたのは今から20年ほど前、学生諸君がこの世に生まれた頃だ。
われわれにとって「学生時代」は過去のことである。が、法政大学の現状はわれわれにも無関係ではない。われわれの大半が、近い将来、大学進学を考えるであろう子供を持つ親だからである。われわれの子供たちの選択肢には当然、法政大学も含まれる。
われわれはここに法政大学の現状に対する見解を明らかにするが、大学当局者には「教え子」の声ではなく「未来のお客さん」の声として、学生諸君には「先輩」の声ではなく「未来の後輩の保護者」の声として、われわれの話を聞いてもらいたい。

●文学部教授会は退学処分を撤回せよ

われわれは5月17日、文学部教授会で下された文学部生3名に対する退学処分の撤回を求める。
われわれが在学していた頃にも「学生が逮捕される」という事件は頻繁にあったが、3月14日の逮捕劇は明らかに異常であり、また、今回の処分は明らかに行き過ぎである。
「不起訴になった学生を退学処分にする」という決定には、当該の学生はもちろん、多くの学生が抗議の声を上げていると聞くが、われわれの立場も同じだ。
有識者」の集団である教授会がこのような判断を下したからにはそれなりの「理屈」もあるのだろう。が、その理屈がこのような結論を導き出したのならば、その理屈を見直し、改めるべきだ。大学が何をどう強弁しようとも、学生は「立て看板を出しただけで警察に売り渡され、おまけに退学になる」と受け止める。大学にとっても学生にとってもこれ以上に不幸なことはない。
たとえ、今回の退学処分が悩みぬいた末のものであろうとも、歴史に残るのは結果だけだ。また、歴史が評価するのも結果だけである。今回の退学処分は法政大学の歴史の中に必ず汚点として残る。
一部の教員は今回の退学処分を「正義の戦い」と語っているようだが、「立て看板を出しただけで警察に売り渡され、おまけに退学になる」などという前例を作る行為が「正義」であるわけがない。そのような正義感は捨てるべきだ。
いつの時代もどこの国でも、地獄への道はそのような「正義」によって敷き詰められている。これは西洋のことわざだが、東洋でも事情は同じだ。
文学部教授会は直ちに退学処分を撤回し、学生との信頼回復に努めるべきである。

●学生は諸君らの<せこさ>に呆れている

教員諸君に訴える。とりわけ、われわれと同世代の「若手教員」に訴える。
この間、われわれは母校の状況を知るため、多くの学生と面談した。そして、その中で学生たちの教員に対する不信と軽蔑の深さを知った。
たとえば文学部哲学科。われわれが在学していた頃も教授会と学生の衝突は絶えなかったが、そのような状況の中でもわれわれは、ジャン・ポール・サルトルの親友であられた矢内原伊作先生、カント研究の第一人者であられた濱田義文先生、田中美知太郎の一番弟子を自認されていた加来彰俊先生らに対する尊敬の念を失わなかった。バリケードストライキの最中でも、われわれはこのような先生方の存在に「ありがたい」「もったいない」「畏れ多い」と思ったものである。
ところが、である。今の学生からはついぞそのような声は聞けなかった。聞こえてくるのは「あの人たちは教授の地位を射止めたところでおしまいなんですよ」「自分の研究環境を守りたいだけなんですよ」「いまの教授はマスコミ受けばかり狙っていて、学生のことなんて考えてませんよ」「あの連中の知能程度は偽メール問題でずっこけた民主党の前原執行部と同レベルですよ」などという、あざけりばかりだ。
はっきり言おう。学生は諸君らの<せこさ>に呆れている。われわれはこのような状況にも深い悲しみを覚える。
学生の話によると一部の教員は「私はブランド大学の教授だ」と誇らしげに語っているという。たしかにオーバードクターが量産されている今、「東京の大学の先生」の座を射止めた諸君らはある種の「エリート」かもしれない。
だが、諸君が誇る法政大学の「ブランド」とは何か。それは、官学を追われ、島流しのような形で法政大学に赴任し、私学の学生の基礎学力の低さに絶望しながらも自らを奮い立たせ、寺子屋の先生が子供たちに接するような態度でわれわれに学問を説いてくださった先生方が作り上げたものだ。そのことを忘れないでもらいたい。
いま、問われているのは諸君らの教育者としての資質である。

●戦わない法大生は芸のない日大生と同じ

学生諸君に訴える。この間、われわれは多くの学生から話を聞き、この20年で法政大学が大きく変わったことを知った。しかし、変わらないものもある。それは社会の法政大学に対する評価だ。
70年代、80年代に法政大学に入学したものは「法政を優秀な成績で卒業したからといっても誰も誉めてはくれない。勉強なんかで貴重な4年間を無駄にするな」と親戚のおいちゃん、おばちゃんから言われたものだが、法政大学に対する社会の評価は昔も今もこんなものである。マスコミ受けする教授が増えようが、キャンパスに立派なビルが建とうが、この現実は変わらない。社会が法大出身者に求めるのは、昔も今も「タフさ」であり、「仲間の多さ」である。タフでもなく、仲間もいないというような法大出身者は、芸のない日大芸術学部の出身者と同じようにしか扱われない。学生諸君にはこの現実を知ってもらいたい。
では、タフになるにはどうすればいいのか。仲間を増やすにはどうすればいいのか。その答は一つ。法政大学の名物である学生運動だ。
「立て看板を出しただけで警察に売り渡され、おまけに退学になる」という状況の中では声を上げるのも難しいと思うが、学生が団結すれば状況は必ず変わる。隣の席に座っている学友に、隣のテーブルでたむろをしているサークルに、ぜひ声をかけてほしい。この状況の中、考えていることはみな同じはずだ。いま、諸君に求められているのは学友を信じる勇気だと思う。われわれは諸君が立ち上がることを信じている。

●若者の権利を守るのは大人の責任

市民のみなさんに訴える。われわれが「いい歳」をしながらも母校の問題に口を挟んでいるのは「青春の日々」を懐かしんでいるからではない。われわれを突き動かしているのは未来への不安である。
「大人」たちに声を圧殺された若者たちが10年後、20年後、われわれの子供の世代に対して何をするかは火を見るよりも明らかだ。われわれはこの負の連鎖を断ち切りたい。
未来の社会を築き上げるのはいまの若者たちである。「若者に少しでも元気になってもらいたい」というのが、われわれが立ち上がった最大の動機だ。若者を取り巻く状況にわれわれと同じように危惧を抱いている方は、ぜひ、われわれとともに声を上げてほしい。
若者に言論の場、表現の場を保障するのは大人の責任である。若者の権利を侵害するものに未来を語る資格はない。大人が常に問われているのは、次の世代に何を残すかだ。
われわれ統一OB会のメンバーが等しく敬愛するレフ・トロツキーは、その遺言を次の言葉で結んだ。「人生は美しい。未来の世代が人生を心ゆくまで享受できるよう、すべての悪と抑圧と暴力を一掃せよ」。
われわれもまたこのアピールをこの言葉で結びたい。

退学処分を撤回せよ! 法政大学統一OB会


代表 遠坂裕夫(文学部自治会元委員長・全学連元副委員長)
    中川文人(学術行動委員会元代表
    ジョー・マジャール(哲学会元常任委員長)
    長橋竜次(哲学会元常任委員)
    末村成生(テロリズム研究会元代表
    K・M(法学術本部元代表
    Y・S(多摩サークル連合元副委員長・学祭元実行委員)
    他、多数

(文責:中川文人