非寛容の象徴(リンク追加)

学館=非寛容、非知性。
ボアソ=寛容、知性
と言ったのは平林だったっけか。

少なくともボアソ=非寛容となった日だった。
中核も今日のは予想してなかった事だろうな。
まさか自分達の活動場所に行ったら公安が待ち構えているなんて。
詳しくは↓参照のこと。
http://hosei29.noblog.net/blog/
http://www.minimal-global.net/united_ob/

大学が知らないで公安がわんさかいるわけない
(そうだったら大学の自治から考えて相当問題)ので、
まあ大学が協力したと考えるのが普通なんだろうけど。

正直、涙が出てくるほどどうしようもない。
武力闘争をがしがしやっていた時代なら、こういうことも
あるのかなあと考えるけれども、
ビラ巻くとかデモやるとか、大学内に入るとかで
逮捕を繰り返すなんて考えられないし、今でも信じられない。

しかし、現実には何故かあるわけで、
私はちょっと大学内に入ることをためらったよ。
(まあ、今度本を返しに行くということで入ろうと思うけど)

そして、学生部の近藤や安東が私の行動に
「○○をたぶらかして動きを探ろうとしてるんじゃないか」
と言っていたとか、近藤に
「学生部にはもうこないでね。」
と言われたり、なんか了見の狭さにあきれる。

今回の活動にコミットする事を決めた時点で
このような反応は予想していた事だったけど、
やはり面と向かって言われると、ちょっと萎える。

ま、学生部なんかには行く事はもうないだろうから
別にいいのだけど。
行くとしても図書館とか就職部(苦笑)くらいだし。

そういえば弁論部で被逮捕者と会った時を思い出した。
彼は今よりも、とがっていた様な気がする。
んで、私は基本的には賛同するけども、
彼の運動論には賛同しないと言っていたような気がする。
でも、彼の言論は尊重するし彼に何かあれば助けるとも
いったような気もする。
言論を扱う弁論部として当たり前の考えだと思っているけど。
私はあそこで委員長もやったし、関東の学生雄弁連盟の
執行委員もやったけど、基本的には弁論をしない
アウトローな存在で、部に何か貢献したとは言いがたかった。
対立で部を割る原因を作ったし、そのせいで私の名と
部の名前が入った中傷ビラを学館と他大学に巻かれたりもしたなあ。
もし、彼の退学処分を阻止できればようやく私は
弁論部に貢献できた事になるのだろうか。どうなのか。

今日はちょっと遠征して多摩にでも行ってこようかな。
あ、ビラ貰っとけば良かった・・・。
多摩には元々私のいたサークルはなくて、
ちょっと復活に関わったサークルがあるだけなので、
学祭以外に行く気が起きなかった。遠いし。
(まあ音系団体だしね。あそこは。)

多摩ではさすがに公安はいないだろうから、
安心して学内に入れる・・・と思う。
警備に私の情報が入ってたりして(笑)

帰りが遅くなれば赤尾にでもよるかなあ。