二部新聞に寄稿した文章(長文注意)

祭りも終わったし、もう公開してもいいかなと思うので、
二部新に寄稿した文章を掲載します。
感想、反論などを頂ければ幸いです。

                        • 多摩地区に思いを馳せる---------------------

十一月の初旬、第六十回自主法政祭多摩地区の会場に向かった。久しぶりにめじろ台駅に降り立つと、都心との気温差に驚く。駅前ののどかな風景、多摩キャンパスまでの豊かな紅葉、京王電鉄バスの料金の高さも懐かしい。多摩地区ではメイン会場となる場所が交互に入れ替わる。今年は経済学部棟開催との事なので、Vブリッジに向かう。ここで少し驚いた。円形芝生の近辺に屋台が配置され、中央には動物がいて、子供が楽しく遊んでいる。私が学祭実の時には無かったことだ。Vブリッジを渡るとさらに驚いた。いつもよりも人手が明らかに多く、賑わっている。理由はいくつかあるが、企画が充実していたのが大きな要因であろう。「創世のアクエリオン」というアニメの主題歌を歌うAKINOが所属するBless4のイベントを筆者は見ていたが、経済学部のミニステージに四百人は最低でも集まり、大盛況だった。その他にもライトノベル作家の対談や映画監督の講演など、今までの学祭では行なっていないような企画が目白押しだった。多摩独自の学祭を志向していた筆者にとって、企画に関しては素晴らしいと感じた。
驚かれるかもしれないが、多摩地区は市ヶ谷地区よりも先進的でチャレンジ精神旺盛であると考えている。例えば、今では最終日恒例である花火企画は五年ほど前に数人の学生が発案した企画であるし、オープンキャンパスや父母懇談会などの大学行事と同日に開催するというのも、数年ほど前から実行されたものだった。市ヶ谷地区の硬直したセクショナリズム的な企画立案過程とは異なり、多摩地区は一人の発案を大事にし、チャレンジする気概がある。しかしながら、それは多摩地区の祭へ、どうするれば人を呼べるかという試行錯誤の結果とも言える。
思えば多摩地区の歴史は常に人の不入りに悩まされてきた歴史だった。多摩での趣意書受付では多摩の学生にも関わらず、市ヶ谷地区のみへの参加を希望し、理由を聞くと返ってくる答えは決まって、「大会があるから」か「ゼミ合宿があるから」だった。市ヶ谷地区のみ参加を希望している団体の半分でも多摩地区へ参加してくれたら多摩地区ももう少し盛り上がるのではないか。よくそう考えた。多摩地区の華を作るにはどうしたらいいのか。その中で考え出されたのが花火企画であった。ゼロからのスタートだったため、当初は花火を打ち上げるための計画が全く出来ず、また大学側からもNGを出され続け、企画は頓挫しかけた。しかし、学生生活課に当時所属していた遠藤氏(現在は退職)の尽力や、学生の熱意の末、数年がかりで実現した企画であった。
祭は歴史であり、積み重ねの中で発展し、成長していくものではないか。そう考えると、今年の実行委員会は企画面では評価できるものの、事務的な面においては評価する事は出来ない。断片的な情報であるので、この批判が的外れであるかもしれないが、逆に言えば一般学生やOB・OGはその程度の情報しか持ち得ない中で、あなた方を見ているのだと考えていただければと思う。
まず、交渉の過程の中で全キャンパス同時開催を打診された際の対応だ。先に記述したように、多摩地区の学祭の形態は多くのOB・OGが苦心して作り上げた産物である。にもかかわらず、学生部長との会見で「それなら多摩では開催しません」(金原多摩学生部長の日記より)というのはいかがだろうか。過去の積み重ねを全て無にするものではないだろうか。「OB・OGのためではなく、現役の学生ための学祭なのだから、過去の事なんて関係ない。」という意見もあろう。しかし、多摩地区が盛り上がり、発展していくための改革ならともかく、多摩地区そのものがなくなるような行動は発展ではなく、退化である。大学とはなんだろうか。学祭とはなんだろうか。多摩地区の学祭がなくなれば地域住民との触れ合いの場は減る。また、多摩キャンパスで生活する学生の活動を発表する場が減る。そして、過去に多摩地区の学祭を作り上げてきたOB・OGの想いを破壊するものだ。仮に交渉の手段としての発言としても、このような発言をすべきではなかったのではないかと考えるのだ。
そして次に批判されるべきなのは、同時開催への妥協案として提示された土日の二日間開催を受け入れてしまったことだ。もしかしたら多摩では毎年開催されているスポーツフェスティバルとの連続開催を目論んでいるかもしれないが、現時点で出てきている情報から判断すると、土日のみの開催では事実上の多摩地区の学祭廃止を意味するとしか思えない。準備日、後片付け日なしとなれば各企画は一日目の午前に準備し、二日目の午後に片付けをしなくてはいけない状況になる。そうなった場合、企画の発表時間はほとんどないため、市ヶ谷のサークルは当然として、多摩のサークルでも企画参加を見合わせるところが大半だろう。開催可能な企画は講演企画くらいなもので、それで学祭と言えるのかどうか。
言うは易し行なうは難しというのは承知してはいるが、もっと上手い交渉は出来なかったのか。多摩の学生部長である金原氏はどちらかというとリベラル系の人間であり、多摩局が強く主張し続ければ少なくとも二日開催ではなく三日開催で掛け合ってもらうことも可能ではなかったか。また、同時開催をしなければならない理由として大学が提示している「授業時間の確保」もおかしい理屈であることをもっと強く主張していくべきではなかったか。例えば小金井は3日開催で準備日も後片付け日も十分確保している。相互休講もないのだから小金井とは条件がほぼ変わらないにも関わらず、この違いが生まれる理由を問いただすべきではなかったか。現状の大学側の姿勢は強硬であり、学生側の意見を聞いてもらえる環境にはないのは理解している。しかし、抵抗らしい抵抗も見えずに大学側の意見を受け入れるのみの実行委員会では「自主」の名をわざわざつける意味がどこにあろうか。それは大学側が運営している「学生スタッフ」が行なった場合の学祭とどう違うのか。
私は最早、「自主」法政祭は崩壊したと考えている。今までの主張と矛盾するようだが、それはある程度やむをえないと考えている。大学の現在の強硬姿勢に対向するには、時には団交などで戦うしか方法は無い。しかし、そのような術を既に学友会本部団体自体が持っていないのだから、本部団体から構成される実行委員会が出来るわけがない。この際、「自主」の名を外して趣意書制度もなくしてしまってはいかがだろうか。基調を実行委員会は発表し、それに賛同する団体であれば全て受け入れた後に、場所などに関しては抽選と活動実績、企画内容を加味した上で調整・決定すればよい。そして、全団体の代表者に対して飲酒に関する(救命含む)講習会など必要と思われる講習会への参加を義務付け、当日も規定に違反したサークルは有無を言わさず企画停止にしてしまえばよい。そちらの方が現実的な組織であるし、今の形態よりも皆が幸せになるような気がする。
そして、多摩地区の学祭に関して言えば来年度は既に2日開催が決定しているのだから、金曜日をスポーツフェスティバルにし、同日開催の形態とするしか道はない。その上で、今年のような地域の人も参加できる祭かつ、学生も参加できる祭であれば道は開けるのではないか。ゼミ発表会の開催も集客力アップのための一つの道だろう。繰り返すが、2日開催だけでは展望が開けない。今年度の多摩局長はブログ内で既に2日開催を表明してしまっているが、交渉でどうにかしていただきたい。
最後に、一つだけ。気付いているかわからないが、今年の実行委員会は「多摩祭」「市ヶ谷祭」という言葉を多用している。数年前であれば全学生を鑑み、多摩地区、市ヶ谷地区と呼称していたのだが。この辺にも少し寂寥感を感じてしまうのだが。以上、ウザイ話だったがOB・OGの戯言として受け取っていただきたい。

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